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木下住宅(旧又野邸)

 投稿者:こう  投稿日:2009年11月 7日(土)23時05分10秒
  行ってまいりました。
受付におられたきれいなお嬢さんがいろいろ説明してくれ、充実した観覧となりました。
なんでも、台所はシステムキッチンが入れられていたのを神戸大学の先生の指導で建築当時の台所に復元できたそうです。

写真は上から外観。
洋室。
茶室です。

案内してくださったお嬢さんは「建てられた又野さんと言う方は、とてもおしゃれで粋な方だったのですね」と感慨深く語っておられました。

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/

 

見に行かなきゃぁ

 投稿者:こう  投稿日:2009年11月 2日(月)20時18分38秒
  と思うのですが、なかなか時間が取れません。
さて、今度は東舞子にあって、狩口台に移転していた武藤邸がかつて舞子タワーのあった場所辺りに再移転の工事が進んでいます。

舞子ホテル、舞子ビラ庭園、移情郭(六角堂)とあわせ、名建築のメッカになって行くような感じがしますね。

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/

 

旧又野邸公開

 投稿者:モハ830  投稿日:2009年10月24日(土)19時43分15秒
  いよいよですか長かったですね。
機会があれば是非拝観に行きたいと思います。
 

Re:木下家住宅(又野邸)公開へ

 投稿者:伸さん  投稿日:2009年10月23日(金)16時28分37秒
  いよいよ公開ですか。

木下住宅が建っているのは、舞子公園でも西地区と呼ばれる所、

舞子駅の北側の若宮神社が有る所です。

舞子公園というと駅の南側と言うイメージを持っている方が多いと思います。

間違えないでくださいね。!
 

木下家住宅(又野邸)公開へ

 投稿者:こう  投稿日:2009年10月23日(金)15時46分56秒
編集済
  神戸新聞ウェブサイトhttp://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002460762.shtmlより

 国の登録文化財「旧木下家住宅」(神戸市垂水区の舞子公園内)の保存修復工事が完成し、24日から一般公開される。

 同住宅は1939年ごろに建てられた近代和風建築。約2300平方メートルの敷地に、母屋のほか、土蔵、納屋などが残る。所有者が2000年9月に土地と建物を県に寄付。06年12月から神戸大学などの監修で修復が進められていた。

 公開は午前10〜午後5時(24日は午後1〜4時)。月、火曜休館。無料。24日は記念式典があるほか、午後1時と同2時15分に、監修にあたった足立裕司・神戸大学大学院教授による記念講演と見学会がある。

***********


時間をかけて修復された、この掲示板でも話題だった舞子駅東側、木下家住宅(又野邸)が公開されることになりました。
舞子の新しい名所として広く知られて欲しいなと思っています。

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/

 

秋祭り

 投稿者:伸さん  投稿日:2009年10月 5日(月)07時26分32秒
  やっぱり多聞寺でしたか、ところで舞子六神社の秋祭りは、10日が宵宮で、11日が本宮ですね。
今年は、宵宮もふとん太鼓が出るみたいです。晩に六神社から橋の科学館前まで行くそうです。
 

村からの移り変りを小学校で。

 投稿者:モハ830  投稿日:2009年 9月23日(水)10時36分37秒
  伸さんのご意見に賛成です。「垂水四季詩情」(図書館にあるでしょうし垂水区内の
学校にもあるかと)---が一番詳しいでしょう。
私が住んでいる市の歴史史料館にもありましたので、山陽鉄道関係などを調べるのに
便利でした。
舞子小学校も(山田時代)山陽鉄道の線路近くにあって、複線化などで現在の郵便局
の場所へ移転したとの事を始めて知りました。(郵便局は校門左側にあった藤棚の
近くの位置)私が通学していた時代は郵便局が六神社付近の濱側にありました。
 

舞子のお寺

 投稿者:こう  投稿日:2009年 9月22日(火)07時58分7秒
  西舞子商店街はかつての多聞寺への参詣道路だったと聞いたことがあります。
天台宗は多聞寺、真言宗はそのさきの転法輪寺・・というのが昔の人にとってメジャーな存在だったのかもしれませんね。

どちらも広大な寺院で、門前町もあったようですし。

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/

 

JRは舞子のままの方が--

 投稿者:モハ830  投稿日:2009年 9月15日(火)11時53分23秒
  元舞子の住人の立場からの意見ですが、矢張り「舞子」の方が有名でもあり,そのままの
方が良い様に思います。山陽鉄道時代からの歴史もありますし---
 

皆さんありがとうございます。

 投稿者:伸さん  投稿日:2009年 9月15日(火)11時28分34秒
  この機会に小学校等で村からの移り変わりについて教えてもいいのかと思いますが?
JR舞子駅も変更するなら「パールブリッジ」とかいいかも?
ところで、舞子の氏神さまは舞子六神社ですが、お寺は、東光庵なのでしょうか?多門寺?
舞子地区の古いお寺って少ないですよね?
 

山田村と舞子ヶ浜

 投稿者:ezekiel  投稿日:2009年 9月12日(土)10時42分10秒
   舞子・・・、明石海峡を真正面に眺める海浜に潮風で傾いて生える磯馴松(いそなれまつ)の姿が、舞妓が華麗に舞う姿に似ていることから呼び使われるようになったようですが、広く知られるようになったのは17世紀以降のようです。地名というよりも明石郡垂水郷の山田村近くの松林が続く海岸の呼称としての「舞子ヶ浜」であったようです。

 明治以降には神戸港が貿易港となって街が発展して、塩屋海岸を望む高台に外国人の別荘が建てられるようになり、そして明石郡の舞子ヶ浜は、神戸近隣の風光明媚な保養地のような存在となり明治27年に烏崎城跡に有栖川宮の別荘が建てられました。

 明治22年の市制町村制で明石郡垂水郷の大部分が垂水村となったのですが、村名に関しては舞子村という案もあったそうで、古来からの垂水郷よりも、名勝地として名高かった舞子を村名に推す意見も強かったようです。結局、垂水郷という古来からの地名を村名にするかわりに、旧西垂水村(現宮本町辺り)ではなくて山田村に村役場を設けて村長も山田村から選び、前年(明治21年)に開通した山陽鉄道が、明石郡垂水郷では唯一、旧西垂水村(現宮本町辺り)に「垂水駅」を開業していたのを、1年で舞子駅と改称するなどの旧村間での政治的な取引があって垂水村が発足したようです。

 明治29年に開業した現JR舞子駅は「旧・山田村の駅」としてではなくて「舞子ヶ浜の駅」としての「舞子公園」であり、明治33年に兵庫県は、この景勝の地を県立舞子公園に指定しました。その後、舞子には日下部邸(現舞子ホテル)や牛尾邸のような豪邸も建てられ、海岸には料理旅館が並ぶようになり・・・



 大正6年に開業した 兵庫電気軌道(現山陽電車)西舞子駅は、開業当時は「山田駅」でした。まさに旧・山田村の玄関口となる駅でした。そして現舞子公園駅は「舞子駅」として開業しました。

 今の西舞子町辺りは旧山田村であり、そして舞子という現在の地名は、元々は海岸の名前であり、明治中期から大正期頃の感覚では、現JR舞子駅辺りの海岸を指し示していたようです。当時の山田村にお住まいだった方々にとっては、自分たちの住んでいるのは山田であって、舞子ヶ浜は山田村の東に広がる海岸で、自分たちの住んでいる山田とは違う新しい観光地のようなニュアンスをお持ちだったのではないかと思います。そして神戸をはじめ周辺の方々も有名となった地名の「舞子」と言えば舞子公園の辺りの海岸や観光地であり、旧山田村周辺の町を「舞子」とは捉えていなかったようです。

 「舞子」が有名になったのに対して旧村名である「山田」は求心力を失ってしまって、その後舞子という名前が地名となって「東舞子町」と「西舞子町」が誕生。現在東舞子町は、住居表示に変わって、JR舞子駅の東に一部残るだけになってしまったのに対して、西舞子町は、住居表示としても「西舞子×丁目」として広く使われています。



 須磨も、海岸、景勝地が由来の地名で、JR須磨駅は須磨の町の中心というよりも観光地の駅という感じで、今も須磨駅前には求心力のある商店街は形成されぬまま・・・。

 灘・・・本来の灘五郷の中心である中郷は御影辺りですが、後から神戸市に編入したために灘区ではなくて「東灘区」、そして西灘と呼ばれていた地域が「灘区」になっています。古くからある灘中学校や灘高校は東灘区になり、東灘高校は昭和46年に開校した東灘区の新しい学校です。西灘小学校は古くからある灘区の小学校で、灘小学校は昭和45年に開校した灘区の小学校。元々は西灘と呼ばれていた一帯が現在は灘区になって、元々の灘の中心地が東灘区になっています。

 舞子のお隣の垂水も、明治22年の市制町村制以前は西垂水村と東垂水村の2つの旧村でした。その後垂水区となって西垂水町と東垂水町の地名が誕生しますが、西垂水町は住居表示に変わってしまってほぼ壊滅的(一部残っているようです)なのに対して東垂水町は住居表示(東垂水×丁目)として残っています。もちろん垂水町という地名はありませんし、住居表示にもありません。

 ・・・地名の変遷を辿ると、歴史の流れ、その時々にその地で暮らす方々の生活が窺い知れたり、政治的な香りが漂ってきたりで、良くも悪くも歴史が刻まれているなあ〜と思います。
 

西舞子は舞子

 投稿者:こう  投稿日:2009年 9月11日(金)17時08分21秒
編集済
  西舞子商店街の中にある交番は「舞子交番」、郵便局は「舞子郵便局」、小学校は「舞子小学校」
でも、奥の池・・狩口台3丁目にある小学校は「西舞子小学校」、中学校は「舞子中学」・・
JR舞子駅は東舞子町にあり、「舞子」と言う町名は存在しません。

そう言う意味では西舞子を「舞子町」とでもした方がすっきりするように思うのです。

山陽電車の新線建設計画「神明急行線」では大正時代に現在の舞子中学付近に「西舞子駅」を設置する予定でした。
これは当時の新聞記事で確認済です。
(余談ですが、今の山陽バス車庫はこの鉄道の「多聞車庫」予定地であり、未成線の夢の後です。さらに車庫と併設して「多聞」、今のアグロガーデン裏手あたりに「高商前」駅が設けられる予定でした)

案外・・このあたりが「西舞子」と言う地名の発祥のもとかもしれません。

さて、さる方から、この記事に関して次のような一文をいただいています。
参考までに記してみます。

**********

山田→電鉄舞子(昭和10年8月1日)→西舞子(昭和12年)(当時は軌道法で停留
所)と変遷
して居ます。昭和11年4月号「汽車汽船旅行案内」にも"電鉄舞子”と書いてありま
す。

JR舞子駅は山陽鉄道時代に仮駅で「舞子公園」(明治29年7月1日)開業→「舞子」(明
治32年
4月1日)です。仮駅のまま明治39年12月1日国有化後に本駅になりました。

従ってJR舞子を改名するなら明治29年に戻って「舞子公園」??となると山陽電鉄と
カチ合うし
-----------
山陽鉄道時代に垂水が一時舞子に改名したりまた垂水に戻ったりのややこしい経過が
ありまし
た。
その他舞子ビラの前に当時としては立派な第4種踏み切り(無人)が在りましたが、
あそこが
「御用邸前」(臨時停留所)で大正時代に有栖川の宮家が絶家になって廃止されまし
た。

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/

 

西舞子じゃない?

 投稿者:伸さん  投稿日:2009年 9月 7日(月)15時36分12秒
  現在の町名西舞子は本来舞子と言うべきだと一部の方が運動されているようです。
現在の西舞子になった経緯は、山陽電車の西舞子駅からだそうで?
ま〜実際に舞子と言う町名も無いし・・・・。町名が変われば、山陽西舞子駅も舞子駅になる?JR舞子駅は東舞子駅?・・・・・どうなるんだろう?ややこしいw
 

2段の丘

 投稿者:こう  投稿日:2009年 8月24日(月)17時54分25秒
  垂水区西部の地形で面白いのは、歌敷山・五色山・霞ヶ丘の海岸段丘の上にある丘と、その上、星陵台のさらに一段高くなった丘・・
この丘が2段になっていることですね。

どちらも大きく地形を変える工事をしているわけではなく、旧来の地形の上に町が構成されているのも妙味を感じます。

どちらかと言うと「山の手」の印象がある1段目の丘に対し、商店街があり、多くの人が行き交う2段目の丘・・

すごく不思議な気がします。

それと、朝霧駅と言えば駅前から団地になり、ニュータウンの駅と言う印象が強いですが、駅は海沿いにあり、海水浴場まで橋を渡るだけというのも・・これまた不思議な気もしています。

舞子駅前の観光ハウス・・おぼろげながら・・記憶に残っています。
あのころの舞子駅前は今よりは賑わっていたような気もします。

ちょうど、僕が国鉄鷹取工場に通っていたころ、舞子駅前の喫茶店でよく友人とお茶を飲んでいました。
夕方の、小さな商店街の賑わい・・
ふっと思い出すと懐かしい・・

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/

 

丘の上の町

 投稿者:ezekiel  投稿日:2009年 8月19日(水)08時46分47秒
   舞子と垂水の間にある丘の上の町、今は五色山、霞ヶ丘、歌敷山の3つの住居表示があります。日向さんが開墾した丘ですが、今は住宅地です。

 この丘の上で商店があったりするスポットは・・・東の端の歌敷山バス停附近、昭和時代の中期までは此処に駅があって、駅前の商店だった処ですが、今はシャッターが閉まったままだったりして、住宅地の中に埋没しています。

  五色塚古墳の北、霞が丘交番のある交差点近辺は、商店が並びレストランもあります。古い市場も残っていますし、銭湯、理髪店が3軒と、場所的にも、丘の上の中心と言えるかもしれません。

 丘の上の町の中には信号機のある交差点が2箇所、1つは歌敷山中学校の東で、愛徳学園の下のバス道沿いで、その交差点の南、霞ヶ丘小学校の処にも信号機があります。(下の写真)ここは丘の上の町の中で、最も車の交通量が多いかもしれません。ここにパン屋さんがあったのですが今は歯医者さん。そして向かいには「たるみ坂薬局」があります。垂水坂は、商大筋から、この丘の上に上る坂のことだと思っているのですが、この薬局はたるみ坂を名乗っています。この南には霞ヶ丘駅があり、そのまま国道2号線に至ります。

 今、丘の上の町の中で一番賑わうのは・・・商大筋から、この丘の上に上った附近の交差点、ここにコンビニがあり、ミニコープがあり、垂水駅から徒歩で丘の上の町とを行き来する人が通るので、人通りも多く、買い物客の姿も多いです。

 ・・・でも、それ以外は閑静な住宅地が広がっています。新しいマンションも少なくありませんが、古くからの家も多く、この丘の上の町を散策しても見飽きないです。そして海峡の景色も愉しめますし・・・。

 丘の上の町には、山陽バスが循環して1時間に4本、丘の上の町は、何処かのバス停から5分ぐらいでほとんどの処に行けるのではないかと思います。ちなみに我が家は、バス停から2分ぐらいですが、垂水駅から歩いています。今の時期は、仕事帰りに丘を上って自宅に着くと心地良い汗が流れて、そのままシャワーを浴びてビールを飲んでしまいます。

 我が家の2階の窓からは、明石海峡大橋の本州側の主塔が、向かい家の隙間から眺められます。
 

観光地舞子

 投稿者:天谷高広  投稿日:2009年 8月17日(月)22時51分28秒
  ハラダ様のお話を読んで、そして写真の建物を見て、
気がついたのですが、
私にとって幻だったようなお土産屋さんは、きっとその新装される
以前の建物だったように思います。
違う建物になっていたので、余計にわからなくなっていたのだと
わかりました。
(私も、そこで売っていたものを買いたかったです。)

思いもよらぬところで、幻のお土産屋さんの謎が解けました。
本当にありがとうございました。
 

(無題)

 投稿者:ハラダ  投稿日:2009年 8月17日(月)21時12分42秒
  天谷高広様、お役にたって何よりです。私が舞子に引っ越ししてきた
昭和38年当時、写真とは違う建物、たぶんリメークして新装された
のだろうと思います。最初は舞子観光ハウスという名前だったと思い
ますが、はっきり覚えていません。当時は観光バスが休憩で止まって
いましたから。

あれほど舞子に住んでいて内部に入ったのは1,2回、今思えば当時
売っていた絵葉書や舞子のグッズ買っておけばよかった。

先日の写真はあまり写りが良くありませんので、別の写真を載せますね。
 

舞子駅のお土産屋

 投稿者:天谷高広  投稿日:2009年 8月17日(月)16時34分48秒
  ハラダさんの昔の舞子駅の話に
駅前のお土産屋のことが書かれておりますが、
おぼろげながら、海側の舞子公園入口にお土産屋さんが、
あった記憶があります。
昭和47年に舞子に引越してきてすぐの頃、お店に入りました。
観光地で見かけるようなものが置いてあったので、
これはいい所に引越をしてきたものだと、大変喜んだ記憶があるのです。
ただ、ほどなく閉店してしまったのか、覚えているのはその1回きりで、
本当にお店があったのだろうか、どこか違う場所と勘違いしていたのだろうか
と思うこともありました。
私にとっては、とてもいい情報でした。
ありがとうございました。
 

朝霧

 投稿者:ezekiel  投稿日:2009年 8月16日(日)21時11分57秒
    明石海峡を望む地名に「霞ヶ丘」と「朝霧」があります。「朝霧」の地名の由来は、柿本人麿の歌と伝えられる古今和歌集の

「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく舟をしぞ思う」

と言われています。(ちなみに明石の柿本神社は、柿本人麻呂を祀る祠が起源のようです。)

 明石海峡の朝は、霧で霞むことが多いように思います。この夏も出勤前にサイクリングを愉しんでいるのですが、6時前の海峡は、時には濃霧で包まれたり、或いは淡い霧が一面に漂っていたり・・・

 朝霧が立ち込める海峡に朝日が射し込んで、海峡の海上の霧がほのかに赤く輝く様子は、ほんとうに綺麗だと感じます。先週、その光景に出逢いました。朝霧川の河口付近からの眺めです。しばしの時、うっとりと見惚れてしまいました。(下の写真)



 この掲示板では、地元の垂水、舞子、明石近辺で目にした光景や遺跡から、感じたり思ったことを書き綴っています。垂水で生まれ、そして今、再び垂水に住むようになって、改めて地元の良さを感じるようになったことも少なくないです。

 そういう思いを共に分かち合えたらなあ〜と願って、この掲示板を大切に思っています。この地に今・現在を生活している人だけではなくて、古(いにしえ)の昔のジモッティーが、同じ海峡の景色を眺めて、この地で生活を営んでいたことをも心に留めて・・・。

 お寺や神社、街道や地酒・・・また旧村の集落での営みを求めて田畑や新田開発、漁港等々、時間を越えて歴史の流れの中に先輩のジモッティーの姿を求めて文献やネットで調べたり、本を買ったり・・・

 目にした光景や遺跡を元にして、スポット的にアレコレと歴史の流れに探検することはあっても、郷土史を研究しているわけではないので、断片的で私自身の興味本位の主観でしかありません。

 淡路を望む、垂水、舞子、明石近辺の地元について、今・現在の生活や、時間を遡って先輩のジモッティーの姿を重ねたり・・・いろいろなことを書き綴りたいと、心から思います。
 

あまりにもおかしなご意見

 投稿者:こう  投稿日:2009年 8月15日(土)07時08分51秒
  モハ830さんのご意見はどう考えても変です。

たとえば、僕が「西舞子駅は乗客が少なく、閑散としている」と書いても、それはいけないことになってしまうのではないですか。

書かれているご意見は所詮は特定の参加者への拒否反応をどのように正当化するかという風にしか僕には読めません。

申し訳ありませんが、そのようなご意見を当掲示板にかかれるのは管理人として非常に困惑するだけですので、ご自身が自ら書かれているように「さようなら」の方向性しか僕には解決の手段を見出すことは出来ません。

どんな町にも栄枯盛衰の歴史はありますが、昔が栄えていたから現在の閑散を昔のことを書かずに表現するのは許されない・・
などというのはこれは言いがかりでしかありません。

今、この町に住む住人の方々にとっては今の姿がすべてなのです。
その中で、今のこの町に愛着を持ち、そこで生活していくわけです。

そのことを踏まえてくださり、他の参加者の書き込みに異常な反応を示すことが無いというのであれば今後も参加はしていただいて結構ですが、結果的にそうならないことの可能性が強いのではと思います。

申し訳ありませんが当面、ご参加を自重くださいますようお願いします。

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/

 

以上は、新着順1番目から20番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
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