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利便性が風情を破壊する。

 投稿者:モハ830  投稿日:2009年 1月 3日(土)14時55分0秒
  移転前の「移情閣」は私が知る懐かしい舞子の風景の一つです。あの橋の為に舞子の
風情が完全に破壊(大げさか?)されたのは残念です。それに無粋極まる橋上駅舎の
舞子駅と山陽電鉄の「歌敷山」の廃止----この3つが一番失望が大きい?
時代による変遷は仕方ないとは言え、これ以上舞子を破壊して欲しくないのが偽らざる
心情です。
 

謹賀新年

 投稿者:ハラダ  投稿日:2009年 1月 3日(土)00時36分25秒
  新年明けましておめでとうございます。今年の元旦は福岡で過ごしました。
初日の出を拝もうと家の近くにあります福岡タワーの展望台に5時に行き
日の出を待ちましたが、天候が悪くおまけに雪がふぶいてみることができ
ませんでした。そこで舞子で初日の出を見たときの写真を載せます。この
時、移情閣はまだ移転の前でした。

私にとって昨年は前半はバラ色、後半は地獄でした。かなりきつい時にこの
ボードを読んで何度も心がいやされました。

本年もよろしくお願いいたします。
 

あけましておめでとうございます。

 投稿者:こう  投稿日:2009年 1月 2日(金)10時04分39秒
  旧年中はまことにお世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。

垂水の鹿野さん>

小説も趣味で楽しんで作ればよいと思うのです。
ただ、写真などと違い、かなりエネルギーの必要な作業ですね。
僕も構想は出来ているものの、公私共に多忙でなかなか思うように書くことが出来ず、ま・・それでも、趣味なんだからマイペースで行こうと思っています。

モハ830さん>

管理人が何でも知っているわけではありません。(汗
本年もよろしくお願いいたします。

ezekielさん>

いつも素敵な写真をありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

転法輪寺についてはもっと知られてもいいと思うのです。
でもまた・・静かな風情を残す今の形のほうが歴史ある寺院にはふさわしいのかもしれませんね。
 

初日の出 と 明石海峡大橋

 投稿者:ezekiel  投稿日:2009年 1月 1日(木)19時38分47秒
編集済
  今年の陽光の輝きを目にしたのは、江井ヶ島海岸からの帰り、旧・浜国道の西江井ヶ島の交差点で信号待ちをしている時でした。それ以降は、朝日に向って走ることになって、バイザーのお世話になりました。

p.s. 管理者からの要請により、HTMLタグ使用による画像と該当部分の本文を削除しました。
 

明石海峡大橋

 投稿者:ezekiel  投稿日:2008年12月29日(月)17時19分50秒
編集済
   フィルムの時代に遡って、建設中の明石海峡大橋の写真も含めるとかなりの枚数の架け橋を撮影しています。デジカメになってからの数年は、毎年たくさんの架け橋を撮ってきました。そしてこの1年も新たにたくさんの写真が加わりました。舞子周辺のいろいろな写真を撮っているのですが、どうしても架け橋をたくさん撮ってしまいます。

p.s. 管理者からの要請により、HTMLタグ使用による画像と該当部分の本文を削除しました。
 

転法輪寺とキリシタン灯篭

 投稿者:モハ830  投稿日:2008年12月28日(日)11時09分54秒
編集済
  ezekielさん
良い写真を見せてもらいまして有難う御座います。
略完全に近い形状を保っていますね。十字架は見え難いですが、マリア像が掘って
ある周囲のくぼみは明確に解ります。
高校時代に習って金沢へ行った時に土地のキリスト教徒の方に聞いて、市内の
寺へ写しに行きましたがこれも略完全に近い形状でした。
ところでこのキリシタン灯篭(織部灯篭とも言う)の小型のレプリカが近くの
JTC寮(マンション借り上げ)の前庭にあるので驚きました。
(管理人サンJTC とは鉄道関係の会社ではないですか?)
 

転法輪寺

 投稿者:ezekiel  投稿日:2008年12月27日(土)17時13分21秒
編集済
  転法輪寺(高野山真言宗・龍華山)へ行ってきました。

p.s. 管理者からの要請により、HTMLタグ使用による画像と該当部分の本文を削除しました。
 

食べに行きたい!

 投稿者:モハ830  投稿日:2008年12月23日(火)10時13分31秒
  これは美味そうですね!
次回舞子へ行く時に立ち寄って見たいです。料理とご飯で幾らぐらいですか?
 

海の幸 〜増田屋〜

 投稿者:ezekiel  投稿日:2008年12月20日(土)21時03分7秒
編集済
   地元・垂水の鮨屋さん、増田屋で久し振りに海の幸を愉しみ
ました。明石海峡や播磨灘の地のモノは高いので、冷凍モノが
中心です。
 お造りの盛り合わせ、季節の天麩羅・・・私の増田屋の定番メニュー
です。

 写真は、ひれ酒と穴子の天麩羅そして牛スジ煮です。実は増田屋の
牛スジ煮は絶品なんです♪

 鯛のあら煮、かに甲羅みそ・・・いろいろな海の幸を堪能しました。
結構満腹になったので、〆の鮨と赤だしを味わって2時間余り。
歩いて帰宅できるので、気分もゆっくり、ゆったりできました。

【追記】気分がゆっくり&ゆったり出来たのは、価格がリーズナブル
   であることも大きいと思います。2人で海の幸を満喫して
   満腹になって1万2千円あまり、ひとり6千円ちょっとです♪
   元町や三ノ宮だったら・・・3倍ぐらい掛かるでしょうか?でも
   とてもゆっくり&ゆったりと海の幸を満喫して満腹することは
   ないと思います。支払いが気になって・・・
                     2008年12月25日
 

Re:転法輪寺と舞子六神社

 投稿者:垂水の鹿野  投稿日:2008年12月 6日(土)10時28分24秒
  こう さま

こんにちは、おじゃまいたしております。
お褒めの言葉に預かりありがとうございます。
「世に出す」というレベルでは考えておりませんで、出版には規模が中途半端とおもいます。
しかし、ネット短編小説としては、少し長すぎたかなと反省しています。

こうさんの書かれる小説も、兼がね拝読させていただいております。
コンパクトな構成の中に、心に染み入る内容に敬服いたしております。
わたしも、このような文章を書けるように心がけたいとおもっております。
どうぞご指導ください。よろしくおねがいいたします。

http://hayatori21.cocolog-nifty.com/

 

転法輪寺と舞子六神社

 投稿者:こう  投稿日:2008年12月 5日(金)19時42分0秒
  ニシムラさん>

ニシムラさんの書かれていることは僕が感じていることと同じことですね。
有難うございます。

いろいろな説があり、どれが本当かと思うばかりです。

垂水の鹿野さん>

小説、拝読しました。
優れた歴史認識・冷静な分析があって初めて書ける作品ですね。
ネット上だけではもったいないような気もしますし、もう少し色をつけて世に出されてみてはいかがでしょう。
ただ、そのような形で出せばよいのかは僕では分かりかねるのですが。

非常な力作であり、読ませていただいたことに感謝しています。
 

転法輪寺

 投稿者:垂水の鹿野  投稿日:2008年11月30日(日)21時14分15秒
  みんさんこんにちは。二回目の投稿です。以前は「奈良の鹿野」でおじゃましました。
舞子六神社の話題の途中にもかかわらず別の話題で恐縮です。

初めて転法輪寺をおとずれてみました。お天気もよく、一部ですが紅葉も深く進んでとてもきれいでした。
ここは、いろんな意味で穴場であることを発見したしだい。

ただこの寺が、中世以前に高尾台付近にあったことは聞き及んでいたのですが、ここを実際に訪問しても、その当時の寺の全容を知るにはいたりませんでした。これは少し残念です。

↓わたしも小説なるものを書いてみました。ここのBBSで話題になった事柄がかなり参考になっています。ありがとうございました。

http://hayatori21.cocolog-nifty.com/blog/cat20810905/index.html
 

舞子六神社について

 投稿者:ニシムラ  投稿日:2008年11月26日(水)11時57分29秒
  はじめて書き込みさせていただきます。
舞子六神社について調べておりましたところ、
こちらの掲示板にたどり着きました。

まだ書き込み全ては拝読しておりませんので
既出の話題であれば申し訳なく存じますが、
大正時代の書物に
「……即ち山田村は多聞村の分れなり。
山田村十二社大明神と称す神社あり。
此の十二社大神を二ツに分け、
一は山田村に一は多聞村にて祭る。
即ち十二社を二ツに分けたるにより、
両村共に六社大神と称す」
という記述があります。
とりあえず、ご報告まで。
 

ウィキペディア

 投稿者:こう  投稿日:2008年10月31日(金)22時44分34秒
  てふてふさん>

はじめまして。

これを読むと僕のこれまで常識として捉えていたことが常識ではなかったと思い知らされます。
いちど、きちんと体系的に調べる必要がありそうですね。
 

ウィキペディア

 投稿者:てふてふ  投稿日:2008年10月26日(日)00時59分15秒
編集済
  はじめまして。
ウィキペディアでどなたかが「舞子六神社」の項を執筆されてますね。
加筆できることはないかと検索してお邪魔しました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9E%E5%AD%90%E5%85%AD%E7%A5%9E%E7%A4%BE#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
 

歌敷山の灌漑

 投稿者:3000  投稿日:2008年10月25日(土)17時15分50秒
  池が少なく川も農業用水があった程度ですが、井戸水の水質は良好でした。
台地の為山陽電鉄北側の垂水行循環バスが今走っている道路で分断された農地
(殆どが梅本苺園)にはサイホンがあり、現在霞ヶ丘駅西方の山側にサイフォン
が一つだけ残って居ます。
田圃は幼稚園の霞ヶ丘よりの谷間や拙宅の前の農業用水の傍、停留所の山側に散在
していました。
 

こんなの見つけました

 投稿者:こう  投稿日:2008年10月24日(金)23時39分27秒
  本多聞1丁目、かつての多聞寺の門前辺りにある古い集落です。
そこに多聞寺の大門のあとを記す石碑がありました。

石碑そのものは古いものではないようですが、多聞寺のかつての広大さをしる手がかりとなりそうです。

*歌敷山界隈

ここは、戦前、最初は別荘地として開発されたとうかがっています。
灌漑がよくないので農地には適さず、けれども、山陽電鉄の開通により風光明媚な別荘地として開発されたのではないでしょうか。

奥の細道公園さん>

いらっしゃいませ。
どうぞ、思い出をたくさん語ってくださいね。
 

久しぶりに行きました。

 投稿者:奥の細道公園  投稿日:2008年10月22日(水)17時26分7秒
  初めまして。物心付いた時から舞子で暮らしてました。現在は垂水の高丸に住んでますが西舞子では知らない道が無い!!と断言できます。実家がまだ西舞子にありまして、この前、子供の縄跳びを買いに舞子小学校の前の文房具屋の『岡田』に行ってきました。おばちゃんが昔のままで感動しちゃいました。あの時は近所に『久森』や『わだ』なんかがあって小学生達の自転車で道が一杯になっていたのを思い出しました。又、遊びに来させてください。  

不毛の台地

 投稿者:3000  投稿日:2008年10月14日(火)16時41分34秒
  西垂水村と山田村の間にあった「不毛の台地」とは、後年の「高ヶ平」、現在の
「歌敷山1丁目」界隈の事でしょうか?
 

歴史の中のジモティーたち

 投稿者:ezekiel  投稿日:2008年10月13日(月)20時55分59秒
編集済
  こうさん、

 垂水区のホームページには、確かに「多聞十二神」
という言葉がありますね(^^); この多聞十二神の
根拠が・・・わからないんです。多聞十二神の話は
大正期末から昭和初期に、旧西垂水村や旧山田村の
地域が神戸のベットタウン化されて、かなりの人口
流入があったのですが、それ以降の旧山田村と旧多聞村
との関係の変化を象徴する都市伝説のようなものでは
ないかと思っているのですが・・・。でも、これも根拠は
ないです。

 神戸市の各区のホームページは、各区のまちづくり
関係の部署が作成しているようで、学術的な公式
見解ではないようです。義経の逆落としについても
須磨区と北区とでは、それぞれの町の特色が滲み
出ているような内容です。



 管理人としてのこうさんのご意見を目にして、
確かに、話の流れとして、今の垂水や舞子の生活を
いろいろと考えると、歴史の中に脈々と受け継がれて
きたものが見え隠れするように思います。

 奥の池の射撃場についても、また江戸期の矢場に
ついても、どちらかと言えば危険で附近の住民に
とって迷惑な存在である矢場や射撃場が奥の池に
つくられたのも、明石の町との関係の中で考えると、
当時の山田村が明石の城下や明石の町に対して
発言力があまりなかったのかもしれません。
危険で忌むべき存在の矢場や射撃場を、明石の町から
近い山田村に押し付けられたのかなあ〜と想像して
います。

 六神社の祭神や今は境内社となっている天王さん、
お松大明神、お稲荷様、天神様への信仰を見ると、
権力者であった明石の城主との関係や、その関係に
縛られない村人たちの純粋な信心に思いを馳せます。

 淡路を望むこの地で、同じ風景を眺めながら
暮らしてきた人々・・・、時代は違っても、同じ
ジモティーではないかと思います。

 下の写真は、この3連休の垂水の海神社の秋祭の
幟なのですが、「西垂水」と書かれています。
西垂水村のお祭りとして綿々と受け継がれてきた
名残なんでしょうね。
 

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