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観光地舞子

 投稿者:天谷高広  投稿日:2009年 8月17日(月)22時51分28秒
  ハラダ様のお話を読んで、そして写真の建物を見て、
気がついたのですが、
私にとって幻だったようなお土産屋さんは、きっとその新装される
以前の建物だったように思います。
違う建物になっていたので、余計にわからなくなっていたのだと
わかりました。
(私も、そこで売っていたものを買いたかったです。)

思いもよらぬところで、幻のお土産屋さんの謎が解けました。
本当にありがとうございました。
 

(無題)

 投稿者:ハラダ  投稿日:2009年 8月17日(月)21時12分42秒
  天谷高広様、お役にたって何よりです。私が舞子に引っ越ししてきた
昭和38年当時、写真とは違う建物、たぶんリメークして新装された
のだろうと思います。最初は舞子観光ハウスという名前だったと思い
ますが、はっきり覚えていません。当時は観光バスが休憩で止まって
いましたから。

あれほど舞子に住んでいて内部に入ったのは1,2回、今思えば当時
売っていた絵葉書や舞子のグッズ買っておけばよかった。

先日の写真はあまり写りが良くありませんので、別の写真を載せますね。
 

舞子駅のお土産屋

 投稿者:天谷高広  投稿日:2009年 8月17日(月)16時34分48秒
  ハラダさんの昔の舞子駅の話に
駅前のお土産屋のことが書かれておりますが、
おぼろげながら、海側の舞子公園入口にお土産屋さんが、
あった記憶があります。
昭和47年に舞子に引越してきてすぐの頃、お店に入りました。
観光地で見かけるようなものが置いてあったので、
これはいい所に引越をしてきたものだと、大変喜んだ記憶があるのです。
ただ、ほどなく閉店してしまったのか、覚えているのはその1回きりで、
本当にお店があったのだろうか、どこか違う場所と勘違いしていたのだろうか
と思うこともありました。
私にとっては、とてもいい情報でした。
ありがとうございました。
 

朝霧

 投稿者:ezekiel  投稿日:2009年 8月16日(日)21時11分57秒
    明石海峡を望む地名に「霞ヶ丘」と「朝霧」があります。「朝霧」の地名の由来は、柿本人麿の歌と伝えられる古今和歌集の

「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく舟をしぞ思う」

と言われています。(ちなみに明石の柿本神社は、柿本人麻呂を祀る祠が起源のようです。)

 明石海峡の朝は、霧で霞むことが多いように思います。この夏も出勤前にサイクリングを愉しんでいるのですが、6時前の海峡は、時には濃霧で包まれたり、或いは淡い霧が一面に漂っていたり・・・

 朝霧が立ち込める海峡に朝日が射し込んで、海峡の海上の霧がほのかに赤く輝く様子は、ほんとうに綺麗だと感じます。先週、その光景に出逢いました。朝霧川の河口付近からの眺めです。しばしの時、うっとりと見惚れてしまいました。(下の写真)



 この掲示板では、地元の垂水、舞子、明石近辺で目にした光景や遺跡から、感じたり思ったことを書き綴っています。垂水で生まれ、そして今、再び垂水に住むようになって、改めて地元の良さを感じるようになったことも少なくないです。

 そういう思いを共に分かち合えたらなあ〜と願って、この掲示板を大切に思っています。この地に今・現在を生活している人だけではなくて、古(いにしえ)の昔のジモッティーが、同じ海峡の景色を眺めて、この地で生活を営んでいたことをも心に留めて・・・。

 お寺や神社、街道や地酒・・・また旧村の集落での営みを求めて田畑や新田開発、漁港等々、時間を越えて歴史の流れの中に先輩のジモッティーの姿を求めて文献やネットで調べたり、本を買ったり・・・

 目にした光景や遺跡を元にして、スポット的にアレコレと歴史の流れに探検することはあっても、郷土史を研究しているわけではないので、断片的で私自身の興味本位の主観でしかありません。

 淡路を望む、垂水、舞子、明石近辺の地元について、今・現在の生活や、時間を遡って先輩のジモッティーの姿を重ねたり・・・いろいろなことを書き綴りたいと、心から思います。
 

あまりにもおかしなご意見

 投稿者:こう  投稿日:2009年 8月15日(土)07時08分51秒
  モハ830さんのご意見はどう考えても変です。

たとえば、僕が「西舞子駅は乗客が少なく、閑散としている」と書いても、それはいけないことになってしまうのではないですか。

書かれているご意見は所詮は特定の参加者への拒否反応をどのように正当化するかという風にしか僕には読めません。

申し訳ありませんが、そのようなご意見を当掲示板にかかれるのは管理人として非常に困惑するだけですので、ご自身が自ら書かれているように「さようなら」の方向性しか僕には解決の手段を見出すことは出来ません。

どんな町にも栄枯盛衰の歴史はありますが、昔が栄えていたから現在の閑散を昔のことを書かずに表現するのは許されない・・
などというのはこれは言いがかりでしかありません。

今、この町に住む住人の方々にとっては今の姿がすべてなのです。
その中で、今のこの町に愛着を持ち、そこで生活していくわけです。

そのことを踏まえてくださり、他の参加者の書き込みに異常な反応を示すことが無いというのであれば今後も参加はしていただいて結構ですが、結果的にそうならないことの可能性が強いのではと思います。

申し訳ありませんが当面、ご参加を自重くださいますようお願いします。

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/

 

私の頭が悪いので‐‐‐

 投稿者:モハ830  投稿日:2009年 8月15日(土)00時02分19秒
  ezekiel氏の件は主題の通りですが、舞子や垂水を知らない方々に「誤解」を与える
みたいな記述と、行政区分の変更は「史実に忠実」な方がよく、漁港の問題も
「過去はこうだったが,現在は(嫌だけれども衰退)」をはっきりして欲しかった
のです。ezekiel氏の研究が余りにも高度で、ついてゆけないから撤退するのです。
読むと元住民として言いたくなる事も出てくるし-------が理由です。ハラダさんには
是非一度お会いしたかったですが残念です。お元気で定年迄頑張って下さい。
 

昔の舞子駅

 投稿者:ハラダ  投稿日:2009年 8月14日(金)23時43分14秒
  舞子に住んで11年、その後も実家は舞子にあり、今も九州からよく
帰っている。舞子駅は遠くにいたとき降り立って帰ってきたなあと
実感した駅です。この時も舞子を離れていたのでその時に撮影、
舞子駅の前にお土産屋さんがありましたが、その時に舞子の絵葉書
やそのほか売っていたと思いますけど、買っておけばよかった。
 

理解できない

 投稿者:ハラダ  投稿日:2009年 8月14日(金)23時14分38秒
  モハ830さん、Ezekielさんのやり方の何が悪かったのか全く
わかりません。私は舞子のみならずいろいろ歴史を語っていただけ
実際に今まで書き込まれた内容を1冊の本にまとめ上げられればい
いと思っていますけど。

熱心な郷土史研究に注目しているのです。と評価されているのに
 

お世話になりました。

 投稿者:モハ830  投稿日:2009年 8月14日(金)09時36分43秒
  Ezekiel氏のやり方に同意出来ませんので、このHPから撤退させてもらいます。
皆さんお世話になりました。さようなら。
 
    (こう@管理人) 全く意味不明です。
これではただの嵐ではないですか?
 

隠れた名店

 投稿者:こう  投稿日:2009年 8月14日(金)05時22分58秒
  奥の細道公園さんがおっしゃるお店、いくつかは実際に僕もいっています。

「はまさき」は出汁が旨いです。
「幸神堂」さんは頑張っておられますよね。
「大連」のやさしい味が大好きです。

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/

 

過去形と現在進行形

 投稿者:こう  投稿日:2009年 8月14日(金)05時19分46秒
編集済
  間違えないでください。
現在の状況はあくまでもこれが現実。
 

歴史の流れ??

 投稿者:モハ830  投稿日:2009年 8月13日(木)21時38分52秒
  垂水村からいきなり神戸市(須磨区)になったみたいな記述が「古代からの大きな
時代の流れ」のために省略されては、このHPを舞子や垂水の昔を知らない人たちが
見たら、いきなり村→神戸市と歴史的事実が誤解されませんか?
それから「水産加工場」の件が「勘違いコメント」とは失礼でしょう。以前は本当に
「いりこ」加工場があったのだから、私なら「以前はあったが,今は無くなっている」
と記述しますね。
当時の事を知らないなら、知っている人々に尋ねるとか、古い地図で確認するとか、
幾らでも方法があるはずでしょう?
Ezekielサンは私に対して何か含むところが有る様ですが、私は貴方の熱心な郷土史
研究に注目しているのです。(昔の住民として)
 

隠れた名店?

 投稿者:奥の細道公園  投稿日:2009年 8月13日(木)12時10分12秒
  仕事で東京に住んでいる友人が舞子に帰省してくると、必ず行く店があります。
山陽電鉄西舞子駅前を北へずーッと道なりに進むとあるお好み焼き屋『やま』です。
何がどう美味しいのか分かりませんが、彼は必ずその店に行っています。
今は娘さんと孫娘さんが玉子焼やお好み焼きを焼いてくれます。
西舞子も色々と飲食店が増えましたが、昔からある名店もあるんですよね。
すし屋では「すし芳」とかうどん屋の「はまさき」中華は「西舞子飯店」か「大連」かな?
お菓子と言えば「幸神堂」立ち飲みと言えば「藤岡酒店」又行ってみたいです。
 

舞子漁港と水産工場

 投稿者:モハ830  投稿日:2009年 8月13日(木)11時48分44秒
  >>小さな漁港で水産工場も無く----
どの程度の工場の事か存じませんが、西舞子停留所(当時)と今の郵便局(旧舞子
国民学校跡)の間に、山に向かって左側に「いりこ」を湯がいて一次加工する工場が
ありました。丸4年間その前を通つて通学していたし、シーズンには「生臭い匂い」が
工場から臭って来ました。
おまけに経営者M氏の息子とは1年生の時同級生でした。(よく出来る太った男で
級長でしたが)。
それに4年間同級生だった「餓鬼大将」が舞子漁港の漁師さんの息子でしたしね---
だから「水産加工場が無かった」とは云えないでしょう。
 

舞子の海

 投稿者:伸さん  投稿日:2009年 8月10日(月)21時19分16秒
  7月に子ども達と一緒に海にいる生物を採集しました。
西舞子の海にもいろいろな生き物達が居るものです。
 

舞子漁港

 投稿者:ezekiel  投稿日:2009年 8月 9日(日)20時10分20秒
編集済
   海の幸が豊かな明石海峡に面する海岸には、漁港が多いです。海岸沿いに、明治22年の町村制以前の旧村ごとの漁港が今もほぼ残っており、東から塩屋漁港、垂水漁港、舞子漁港、明石浦漁港、林崎漁港、藤江漁港、江井ヶ島港、そして魚住漁港。(東二見漁港と二見港は、旧明石郡ではなくて加古郡になります。)

 明石川の河口に広がる明石浦漁港と林崎漁港は規模も大きく水産加工業も盛んで、江井ヶ島港と垂水漁港がそれに次ぐ規模でしょうか?それに対して舞子漁港、藤江漁港、魚住漁港は規模が小さく、とりわけ舞子漁港が最も小さいように感じます。

 山田川の河口の左岸、舞子六神社のすぐ南にある舞子漁港は、かつては山田の浦と呼ばれていたそうです。・・・この辺りは明石郡垂水郷山田村の中心地で、明治22年の市制町村制によって明石郡垂水村が誕生した当初の垂水村の村役場は、この舞子漁港の近くに置かれました。その後は垂水漁港と海神社を擁する旧西垂水村の中心である現・宮本町辺りが垂水村の中心となっていきます。現在の垂水区役所は、垂水駅再開発ビルがある日向1丁目ですが、それまでは海神社の隣、宮本町でした。ちなみに地名の日向は、日向さんと呼ばれた明石城主の松平信之が由来だそうです。

 舞子漁港は小さな港で水産工場もなく、案内板もない住宅地の間の道を通るので、あまり存在感があるとは言えませんし、舞子に住んでいても舞子漁港の存在を知らない方々も少なくないと思います。規模の小さな藤江漁港と魚住漁港は、海岸沿いの県道554号線に面しているのに対して、舞子漁港は海岸沿いの道から住宅地越えになって直接見えないので、海岸沿いを歩いていてもそれとは知らず通り過ぎてしまいます。

 舞子六神社が創建されたと言われる江戸前期以前の漁業の守り神が、現在は舞子六神社の境内摂社となっています。現在はわかめ等の採藻漁業が中心で、舞子漁港からは遠くに漁に出ることはないようですが、摂社のお松社が、阿波の国のお松権現だとすれば、遠く阿波の国まで漁に出掛けていたのか、或いは海難で阿波の国の漁船が山田村に辿りついたのかも知れませんし・・・

 舞子漁港からの海峡や架け橋、淡路の島影の眺めが好きで、時々散歩で立ち寄っています。そして いにしえの時代に思いを馳せながら潮風を浴びています。

 写真は、先週、梅雨明け直後の早朝の舞子漁港です。


勘違いのようなコメントがついたので補足しますが、現在の採藻漁業が中心となった舞子漁港に関して書いたものです。「舞子漁港は小さな港で水産工場もなく」と現在の舞子漁港の様子を書いたのであって、コメントにあるように、「水産加工場が無かった」と過去の舞子漁港に触れた内容ではありません。時々散歩で訪れる舞子漁港の現在の様子を描写した記述です。そして、かつては、山田村の中心で、明治22年の市制町村制後は垂水村の村役場があった場所でもあります。明治後期から大正期は賑やかな場所で、港の近くの家では海産物の加工も盛んで、魚市場もあったのではないかと思います。
 

垂水町でした。

 投稿者:モハ830  投稿日:2009年 8月 9日(日)09時27分37秒
  歌敷山も霞ヶ丘も昭和16年7月に神戸市須磨区になるまでは、兵庫県明石郡垂水町
でした。当時の垂水町役場からの「雇い人税申告通知」が残っていますので、「町」に
間違い有りません。神戸市合併の条件としては「上水道の敷設」がありました。
当時の拙宅は井戸から水を電動ポンプでタンクにあげて使用していました。

五色山の西と言えば「霞ヶ丘駅」西方の谷に大阪ガスの大きな「ガスタンク」が
ありましたが、あの谷の名前は何と言いましたつけ?
 

五色山

 投稿者:ezekiel  投稿日:2009年 8月 9日(日)06時03分43秒
編集済
   中世や、さらに遡って古代には、五畿内・摂津の西の端である須磨の西は西国。敏馬の泊(古代の港・岩屋辺り)を出た西国に向かう船は、鉢伏山の西に広がる屏風浦の“赤石の淵”を右手に、そして淡路の島影を左手に見ながら播磨灘へと向かったことと思います。

 塩屋川と福田川の間は城ヶ山、福田川と山田川の間は五色山、山田川と朝霧川の間は東山(狩口台)と、六甲・淡路島断層帯が海峡に沈む手前の微妙な場所が、今の舞子や垂水になります。

 明石海峡と、その向こうに淡路を一望できる五色山に 五色塚古墳があります。この海を支配していた豪族の墓 とも言われています。 この辺りは、昭和16年の神戸市に編入されるまでは 明石郡垂水村、更に遡れば江戸時代の前期は明石城主が治めていました。

 万治2年(1659年)に明石城主となった松平信之は、新田開発を奨励して、西垂水村と山田村の間の、この辺りの丘の上を開墾して垂水新田を拓きました。日向守であったことか「日向さん」と慕われていたそうです。その後大和郡山に転封となり、更に下総・古河に転封となって老中も勤め、従四位下に叙任され、老中在職中に死去しますが、 その死を聞いた領民が供養碑を建てたそうで、霞ヶ丘にその供養碑が残っています。

  日向さんが開墾した丘の上には、大正期にはイチゴ畑が出来て、昭和の初期には、日本で最初と言われる観光用の イチゴ狩りが始まったとのこと。また乳牛の牧場が広がり、近隣に牛乳を供給していたそうです。今は宅地化されてイチゴ畑もなく、そして牧場もなくなりましたが、中村牧場は今でも地元で販売を行っています。三木の共進牧場の乳牛からの牛乳なのでしょうか?

 五色塚古墳は整備されて、そして五色山の西・烏崎城跡近くの苔谷から海峡を挟んで淡路とを結ぶ大きな架け橋が出来ました。福田川と山田川の間の丘・・・この千年ほどの間にいろいろな歴史を刻んだものだなあ〜と思います。


昭和16年の神戸市に編入されるまでは明石郡垂水村だったとのコメントのような書き込みがありましたが、確かにその通りなのですが、明治22年の市制町村制で誕生した垂水村が昭和3年に町制を施行して垂水町になり、その13年後には神戸市に編入されてしまいます。この書き込みは古代からの大きな歴史の流れを書いたもので、町制の施行に関わることは省略しました。現在の垂水区は、ほぼ、明治22年の市制町村制で誕生した垂水村になります。
 

住まいの近くです。

 投稿者:ハラダ  投稿日:2009年 8月 9日(日)02時47分57秒
編集済
  おっしゃる通り私の前の家はすぐ近く、中学高校とこの道を通って通って
いました。中学1年の時は家にお風呂がなく、歌敷湯まで通ったものです。
夜遅く行くときはこの横にあった歌敷山駅のホームの薄暗い電球が
記憶にあります。歌敷山の踏切は当時踏切番がいて電車が来ると遮断機
を下していました。(記憶違いかもしれない)夜遅く歌敷湯に行くときに
駅は無人だったように思いますが、踏切番がいなかったような、でも電車
は走っていたのでどうしていたのかなあ。自動で遮断機が下りるようにな
っていないはずでしたけど。

ところでezekiel さんの書き込みにあります廃墟は歌敷山駅がなくなって
しばらくしてたったと思います。相当古い。よく無人でそこまで建って
いたものです。写真はこの建物がなくなった後の写真。かつてここに
小さな水車小屋があったというのを見ているのですが、家族の誰も信じて
くれないのです。また右手の舞子ビラの敷地はうっそうとした森で
笹が生えていて、マムシがでるから気をつけるようにと言われていました。

昭和41年か42年の冬大雪で、この坂をスキーで滑るやつがいてみてたら
中学の友達だった。
 

旧歌敷山駅

 投稿者:モハ830  投稿日:2009年 8月 8日(土)19時49分42秒
  22.7パーミル下り勾配標識の場所は以前歌敷山駅の木造ホームの跡??
(あそこ22.7も舞子公園の方角に下っていたかな?)
前方の木立付近が「舞子土地会社」の水源地跡??--当時東舞子や舞子駅の水道は
この水源地からだったが---
この辺はハラダさんのお住まいの近くですね?
 

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